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Cya Pai Lao

【単騎、千里を走る】感動特典!!

2008-05-31 Sat 21:31:13

【単騎、千里を走る】の特典映像これは最高!!




映画館で「単騎、千里を走る」を観た人、すごく残念なことがあります。
このDVDには感動的な特典が付いていました。
たいていのDVDには特典映像が付いています。
メイキングだったり、俳優さんのインタビューだったり、監督の話だったり。
この「単騎、千里を走る」にはいくつかの予告編以外に2つ、一つは普通のメイキング、でもこのメイキングも英語圏に紹介するためのメイキング映像だと思われます。このメイキングも見ようによってはとてもいいのですが、最高なのはチャン・イーモアにスポットを当てた「心の旅」というチャン・イーモアのこの映画に対する思い、ドキュメンタリーと言っていいほど映像です。監督の高倉健に対する思い、地元の普通の農民に対する思い、映画というものに対する思い。
絶対書ききれないくらいの思いが詰まった映像がおまけに付いていました。
高倉健の出演者、スタッフに対する態度は、映画の中の主人公とは違います。そこには外国人に対すつ日本人としての理想に近い態度が出ています。冗談を言い、スタッフ、出演者をリラックスさせ、すべてがうまくいくように気を使う姿がそこにありました。
子供から大人、年寄りまで、中国人、日本人隔たりなく平等に扱う姿は素晴らしいものです。
子供と二人だけのシーンの撮影に入るとき、スタッフが洋服についたほこりを払おうとします。その仕事を出演の子供が自然と手伝うのです。高倉健の洋服の埃をはたいて落とすのです。そのに高倉健とヤンヤンを演じた素人の子の間に信頼感がなければ絶対にしません。チャン・イーモアは日本での撮影は日本の監督に任せました。
外国人が撮影した不自然な日本の映像にしたくなかったからです。
それと同じで、雲南省の田舎の農家の風景は大都会の俳優さんでは演ずることができない、其れゆえ、手間がかかろうと素人さんを使う。それゆえ、雲南の美しい自然と人々が溶け込む映像ができるのでしょう。チャン・イーモアは人の才能を認める偉大な才能に恵まれているようです。
それゆえ現代中国に置いて超一流の監督に成れたのでしょう。
チャン・イーモアの映像は美しい。それは美しい自然と一体になれる人間を映像の中で使うからでしょう。
スタッフの表情、仕事も良い。
監督を信頼している姿がそこにありました。高倉健もそうです。
このDVDは本編と、この映像特典を観て本当の価値が出るもののようです。
本編の、物足りなさもこの特典を観て、ひっくり返ってしまいました。


単騎千里を走る

2008-05-31 Sat 03:11:54

【単騎千里を走る】を借りました。



今度の四川大地震でこの映画の舞台はどうだったんだろうと考えていましたが、この舞台はもっと南の雲南省でした。
ほとんど被害はなかったはずです。
でも中国の中でも少数民族の多い省で山岳少数民族は貧しい生活をしている人が多いはずです。
映画は中国の名監督チャン・イーモアに日本の大俳優高倉健の組み合わせで最初からすごく期待をしていました。
映画館には行けなかったけどDVDが出たら必ず見ると決めていたのです。
そして、観ました。
全然面白くなかった。
期待していたからがっかりしたというのではなく。
チャン・イーモアを知らない、私の妻と私の母は途中から飽きてしまった様子でした。
期待していた私だからこそ、監督のメッセージは分かったかもしれない。
(独りよがりかも知れないけれど、まあこういったブログは勝手に書かせてもらいます。)
チャン・イーモアは高倉健が一番好きな日本の俳優だと言っていました。彼は日本人というものを表すのに一番好きな日本人俳優である高倉健を使いたかったのでしょう。彼にとって高倉健が典型的な日本人だったのでしょう。
映画の中の高倉健は、今までの彼の映画の中のキャラクター、大俳優のイメージどおり無口で、自己表現ができなくて、じれったくなって何かすると相手を驚かせる。他人に自分を理解してもらえない。相手のことが理解できなくて、だから相手からも理解されない。やっと相手に感謝していることが伝わると、あんたって本当はいい人なんだね、そう言ってもらえる。
これって高倉健らしいのだけれど、私にとっては身近にごろごろいるすごく、嫌いなキャラクターなんだよね。
確かに日本人の典型と言ってしまえば、その通りかもしれないけど、本人たちはそれに気が付いてないかもね。
それを見せつけられる日本人たちは、海外に行ってあんな風に外国の人とやり取りするの嫌だよねって、他人事のように見るんじゃないかな。
チャン・イーモアは中国人の部分でもおんなじような表現法をしている。
村のみんなが孤児扱いをしている子供の面倒を見ている。
確かにみんなはその子を愛している。
だからその子が不幸になるのはいやだから、父親に会わせたいという日本人を警戒する。しかし、父親に会わせたい日本人の真心(?)を理解し、父親に会わせることに賛同する。
そして、子供を日本人に預け送り出す。
この交渉の流れの中で一度も子供の気持ちを理解しようとするシーンがなかった。
これはおかしいなと思っていたら、案の定子供は途中で逃げ出すことになる。
それを探しに出た高倉健と子供は道に迷ってしまう。
村中大騒ぎになって、見つかった後、なぜ逃げだしたかとそれから問題にする。村長は長老たちが良いというのだから良いのだと、子供はそれに従っていれば間違いないのだから。そういった大人の考えが出てきました。
チャン・イーモアはこれこそ現在の中国人の社会と言いたかったのではないでしょうか。
中国共産党が村の長老、子供が13億の国民。長老は国民の幸せを願っていて政治をしているのだから、政府を信じて、何も言わず、言うことを聞いていればいいのだという現在の中国の仕組み、そのものを表現したかったのだと思うのです。
高倉健のような日本人はなかなか中国人に理解されないですよ。
映画の中の子供のような一般国民は、そのままでは自立できない自分に気付くべきだ。
もうひとつ、気になったのは仮面舞踊です。
中国の伝統芸能の一つで、日本の能、それ以前の田楽に通じるものなのでしょう。それは一面では芸としての楽しみ、そしてもう一つは仮面に隠された反骨、抵抗。
その仮面舞踊としての裏の意味の存在感と、映画全体の話とのつながり、そしてもうひとつ、きっかけとして使った父親と、息子の断絶の話が、うまくまとまっていない。
だから面白くなかったのかな。

でもね 後でDVDにはつきものの特典映像を観たのですよ。
(つづく)